「鬼平犯科帳」馴染みの場所
長谷川平蔵の屋敷 長谷川平蔵の屋敷は小説では銕三郎時代は本所入江町、京都から戻ってからは目白台、そして役宅は清水門外となっていますが、これらは全て作者の創作で、実際の(史実上の長谷川平蔵の)住居は南本所の菊川町にありました。 (この屋敷は孫の宣昭の時に、江戸町奉行遠山金四郎の下屋敷となりました。 「江戸切絵図」で遠山金四郎と書かれているところがその場所です。) [長谷川平蔵の屋敷所在地(史実)(本所深川絵図拡大図)] では、小説では何故、本所入江町となっているかということですが、これは作者が上記経緯をまだ知らず、「江戸切絵図」を見ている内に本所入江町にある「長谷川」に着目し、ここを長谷川平蔵邸と決めたようです。 [長谷川平蔵の屋敷所在地(小説)(本所絵図拡大図)] (この長谷川は同姓ではあっても長谷川平蔵の家系とは無関係です。) また目白台の屋敷ですが、これも作者の勘違いによって決められたようです。 (資料「大武鑑」の寛政3年の御先手御弓頭の項に「長谷川平蔵 四百石 △目白台」とある、組屋敷の△印を私邸の場所と勘違いしたようで、従って、平蔵の父・宣雄が京都西町奉行へ赴任した時に本所の拝領屋敷は返上し、宣雄の病死で長谷川家が江戸へ戻ってきた時に目白台に新たに屋敷を賜ったと考えたようです。(「西尾忠久」氏による)) Br> そして清水門外の役宅はというと、平蔵の居宅を目白台としてしまったが、これでは市中の見回りにも不便なので清水門外に新たに役宅を構えることにしたようです。 (「江戸切絵図」で清水門外に「御用屋敷」とあるのを利用したようです。) 尚、組屋敷は四谷に設定しています。 (「四谷千駄ヶ谷辺図」に「御先手組」と記された区域がいくつかあったので、ここの一つを利用しようと考え、四谷坂町が選ばれたようです。) 軍鶏鍋屋〔五鉄〕 場所は竪川にかかる二ツ目橋の北詰 [「五鉄」の所在地(小説)(本所絵図拡大図)] 大滝の五郎蔵とおまさの家〔壺や〕 場所は二ツ目橋の北、相生町四丁目 [「壺や」の所在地(小説)(本所絵図拡大図)] 弥勒寺、お熊の茶店〔笹や〕、笹やの南隣にある植木屋〔植半〕 場所は二ツ目橋の南、二ツ目橋通り沿い 〔笹や〕〔植半〕は弥勒寺の門前 [弥勒寺、「笹や」「植半」の所在地(小説)(本所深川絵図拡大図)] 小房の粂八の船宿〔鶴や〕 場所は大横川にかかる扇橋の南、石島町 [「鶴や」の所在地(小説)(本所深川絵図拡大図)] *以上の場所の現在の写真はこちらをご覧下さい。 [写真] [TOP] |